心・言葉・行動の土台が違えば
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「ボーディサットヴァ・スートラ」(p.14)
第一部 脳波が明かす瞑想の全プロセス
第一章 条件がすべてを決める
◎心・言葉・行動の土台が違えば
わたしたちは、この忙しい日本の時の流れの中で、何となく心を動かし、語り、そして行動をしている。
しかし、この「心を動かし、語り、行動をしている」ことすべてが、わたしたちの苦しみを増大させているんだということに、気づかない。
――このような断定的な言い方を、読者諸君はあまりお好きにならないかもしれない。
しかしこれは、いにしえの聖者方が断定したことであり、そして、また、わたしもここに、いかに否定しようとしても、断定しなければならない立場に立たざるを得ないのである。
そして、この地上において、同じように心を動かし、語り、そして行動する魂の中で、逆に、心を動かすことにより、語ることにより、あるいは行動することにより、自己の幸福を増大させうる魂が存在しているのである。
そして、それらの魂を、「ボーディサットヴァ」と呼ぶのである。
この「ボーディサットヴァ」とは、「到達真智運命魂」という意味である。
では、何を真に理解する智慧として有するのか。
それは、「すべて」である。
では、「すべてを有する」とは、一般の科学者と同じように、この世の中の現象のすべてを理解するということなのか。
いや、それは狭い範囲内においては正しいが、それらの狭い範囲内ではない、より広い、つまり科学者では到達できない、この人間の世界以外の世界についても、すべての智慧を有することができるようになるのである。
ではなぜ、同じように、心を動かし、言葉を語り、そして行動することによって、智慧が増大し、幸福になるのだろうか。
それは、一般の凡夫と違い、心の働きや、言葉や、そして行動を動かす土台となっている条件が、凡夫とボーディサットヴァとではまったく逆の働きであるからなのである。
それはちょうど、このように表現することができる。
例えば、ここに氷が存在していたとし、高熱によって苦しんでいる人がいた場合、その高熱で苦しんでいる人の頭を氷で冷やすことは利益となる。
しかし、逆に、エネルギーがなくなり、体温が下降し、体の冷え切っている人を氷で冷やした場合どうだろうか。
それは病を悪化させ、とうぜん死を早めることになるであろう。
しかし、この前者にしろ後者にしろ、使われるもの、それは「氷」なのである。
これと同じように、心の世界をマインド=Mとし、言葉の世界をスピーチ=Sとし、そして行動の世界をアクション=Aと規定する。
このM・S・Aは、普通の人にしろ、あるいはボーディサットヴァにしろ同じように活用される。
しかし、普通の人は愛著・邪悪心・迷妄、つまり、その対象を縛りつけたい心の働きや、相手を憎む心の働きや、あるいは、ただ単に楽しみだけを追求し、徳の消耗を喜ぶ心の働きを土台として、このM・S・Aは活用されるのである。
この愛著・邪悪心・迷妄という三つの根本煩悩を土台として活動する限り、わたしたちは確実にこの欲望の世界に引きつけられ、そして「憎しみ」という相反する感情を増大し、そして、「迷妄」によって徳の消耗を増大するのである。
では、ボーディサットヴァはどうであろうか。
ボーディサットヴァの根本的なM・S・Aの土台、つまり条件は、四つの偉大なる心の覚醒を背景としている。
つまり、聖慈愛・聖哀れみ・聖称賛・聖無頓着がこの土台の背景となっているのである。
この「聖慈愛」により、人々を慈しむ、人々を愛するM・S・Aが増大し、「聖哀れみ」により、人々の苦しみを取り除いてあげようとするM・S・Aが増大し、「聖称賛」により、自己より優れた者に対するアプローチを強める意味におけるM・S・Aが増大し、そして「聖無頓着」により、悪業を落とさせる意味におけるM・S・Aが増大するのである。
したがって、到達真智運命魂の場合、普通に考え、普通に語り、普通に行動することそのものが、徳を増大させ、善を増大させるということになる。
Mind 心の世界
Speech 言葉の世界
Action 行動の世界
ボーディサットヴァ
四つの偉大なる心の覚醒
(聖慈愛・聖哀れみ・聖称賛・聖無頓着)
普通の人
三つの根本煩悩
(愛著・邪悪心・迷妄)
図1-1 3つの行為とその土台の違い
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(目次)ボーディサットヴァ・スートラ
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